2021年11月14日、川崎駅のラゾーナ川崎プラザにある109シネマズにて久しぶりに映画を観て来ました。

ONE FOUR KENGO THE MOVIE 
~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~」


2021年の川崎フロンターレ新体制発表会見において中村憲剛選手の足跡を辿る映画の制作発表がされてからおよそ9ヶ月。ついに完成したこの映画は、確かに中村憲剛選手の足跡を辿ってはいますが、それはそのまま川崎フロンターレが辿った足跡も描いていました。中村憲剛選手の成長曲線とフロンターレの成長曲線はほぼ同じであり、また苦悩も停滞時期も同じでした。


私は中村憲剛選手が入団した年はまだ川崎フロンターレのことを知らなかったので、そこは「歴史の一部」としての認識しかありません。しかし、2006年以降についてはリアルに、共に体験して来ました。


2006年にJ1リーグで2位になったところからシルバーコレクターとしての歴史も積み重なります。ただ2006年についてはJ1再昇格2年目での「快挙」であり、最後はどちらかと言うと棚ぼた的なところも大きかったので喪失感はありませんでした。寧ろ未来への期待の方が大きかったです。


2009年最終節の日立台のことは、おそらく今後も忘れることはないでしょう。大雨の中、勝ったのに、自分も含めてみんな笑おうとするけど笑えない。あの神戸戦で宮本恒靖選手にオーバーヘッドシュートを決められてなかったら。最終盤のアウェイ大分で勝っていたら。ナビスコカップで優勝できていたら。…たら、…たら、…たら。あの日は考えても仕方のないことを延々と考えていました。


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2019年までの中村憲剛選手の成長は川崎フロンターレの成長であり、川崎フロンターレの悩みは中村憲剛選手の悩みでもありました。しかし2020年、ここで初めて乖離が起こります。2019年終盤に前十字靭帯を損傷した中村憲剛選手は苦しいリハビリを続けます。その一方で川崎フロンターレはコロナ禍の難しい状況においても快進撃を続け、Jリーグ記録を次々に塗り替えます。中村憲剛選手はリーグ戦後半に復帰し即ゴールも決めましたが、前年までとは明らかに立ち位置が変わっていました。それは川崎フロンターレが中村憲剛選手から独り立ちしたことを意味しています。


そしてその状況を確かめ、中村憲剛選手は引退をしました。


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川崎フロンターレは、中村憲剛選手はたくさんの涙を積み重ねて、今日に至りました。


ローマは一日にして成らず

千里の道も一歩から


何事も一足飛びに成功することはまずありません。努力を重ねたからと言って成功するとも限りません。しかし努力を重ねないことには成功はしないと思います。


中村憲剛選手が入団してから2017年の川崎フロンターレ初優勝に至るまでの努力と苦悩は、今後も忘れてはいけない歴史であり、忘れてはいけない初心で核心である。そう心に刻みつけました。


Jリーグの村井チェアマンはこの映画を全国で見られるように働きかけると仰っていました。できれば、それと同時にいつでも見返すことが出来るようにBlu-ray化もして頂ければと切に願います。